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『家族』ってなんでしょう。 私には、『家族愛』が欠落しています。 広汎性発達障害を抱える、父・姉・弟。それをサポートするだけで手いっぱいの母。 そして、障害を認めず、徹底とした完璧主義を目指す祖母に、支配された家庭内恐怖政治。 父・姉・弟からは、『母親』、母には、『戦友』、祖母からは、虐めという『ストレス解消物』として、育ってきた私は、AC(アダルト・チルドレン)です。 只今、幼い頃に植えつけられた『強迫観念』と、『強迫障害』を、治療中・・・ (初めていらっしゃった方は、カテゴリの『私の家族』から読んで頂けると、嬉しいデス。) by Noria-ran
父が、『父』で無くなったのはいつだろう。
その境目は覚えていない。 小1の時、理由はわからないけれど、むしゃくしゃして、家の庭にある萩を、総て棒で叩いてまわり、葉を落としまくった事があった。 「おじいちゃんが大切にしてるのなのに・・・。おじいちゃん悲しむよ。」 そう母に言われ、祖母に叱り付けられ、罰として、一番の被害を与えた萩の前で 「よく見て反省して、立っていなさい。」 と、立たされんぼ。 夕方になってもまだ、家に入って良いよの許可が無く、半べそ状態で、ずっと立っていた。 暗くなりかけた頃、父が畑から帰ってきて、立たされんぼの私を見つけた。 「こんなところで何やってんだ?」 そう聞かれ、私は泣きながら、立たされていた理由を説明した。 それを聞いた父は、 「もう寒くなるから、家の中に入れ。」 そう言ってくれたが、私は、祖母の許可が無いからと、首を横に振った。 それでも、 「大丈夫だから。ほら行くぞ。」 そう言って、父は、私の手を引いて家の中に連れて行ってくれた。 家に入った私に、母も祖母も何も言わなかった。 ただ父が、 「萩の前でずっと立ってたから、連れて来てやった。」 と、母に言い、 母が、 「まだ立ってたの?」 と答えていたのを覚えている。 我が家は、怒られると、たいてい蔵に閉じ込められる。 しかし、扉をピッタリ閉めてしまうと、蔵の中は本当に真っ暗で可哀想だからと、ほんの20cmほど、隙間を残しておく。 姉の場合、その唯一差し込む光のところにしゃがみこみ、泣き続ける。 私の場合、その隙間を良い事に、自力で出てきてしまう。 どうやら私は、もうとっくにどこかへ遊びに行ってしまったものと決め付けられ、立っているかどうかの確認をされていなかったらしい。 それはさておき、この時は、確かに父は、まだ私にとって、頼れる・・・頼もしい存在だった。 間違いなく、父は、『父』だった。 なのに、小3の頃。 二人っきりの車の中。 祖母へのグチを延々と聞かされ、私がそれに対し、父に説教めいた事を言っていた。 すでに、この時点で、父は、私にとって『父』ではなかった。 逆に、父に対し、私が『母親』になっていた。 いつの頃からか、ハッキリとした記憶が無い。 具体的なことは覚えていないが、 「 祖母 > 母 > 父 」 の公式が、成り立った時がある。 ただ、この時でも、まだ父は『父』であったような気がする。 子供(小さい子)が大好きで、一緒に遊ぶけど、ふとした瞬間に、突然前触れも無く怒り出す。 いつ怒り出すのかと、いつもビクビクして遊んでいた。 いや、遊んであげていた。 父の事は、嫌いじゃない。 ただ、可哀想な人だと思う。 母親である祖母に、見捨てられ、それでも懸命に祖母に気に入られようと頑張っている。 あんなにも健気に、母親にしがみ付いているのに、当の祖母は、落ちこぼれ扱いで、構ってもくれない。 常に叱り飛ばすだけ。 せめて、父の障害を理解してあげて欲しい。 一度で良いから、妹弟同様に、「ちゃん」付けで呼んであげて欲しい。 きっと、父が幼い頃には、そう呼んでいたはずなのだから。 だから、もう一度、呼んであげてはくれないだろうか。 私に、良いおばあちゃんぶって、「ちゃん」付けなんかする前に。
by Noria-ran
| 2006-02-17 16:59
| 私の家族
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